アルゼンチンへの引っ越し

2007年1月、アルゼンチンは真夏。
日本からの引っ越し。
アルゼンチンでの2度目の生活。
ちいちいはいかにして乗り越えたか。
涙、涙の物語、はじまり、はじまり。

 

2006年12月はアルゼンチンに引っ越す前で、まだ日本にいました。
そのときに、ヤドロクがイトコに伯母が持っているアパートが空いているなら貸してほしい、と電話しました。
彼の伯母さんは小さいアパートを持っているのですが、長い間ずっと誰も使っていなかったのです。
そのときヤドロクは言いました。
「もし何か足りないものがあったら、お金を送るからすぐに住めるように準備しておいて」と。
イトコは「ええ、分かった。大丈夫よ」と返事をしてくれたのでした。

そして2007年1月、私たちはブエノスアイレスに到着しました。
荷物はスーツケースにパンパン。
引っ越しの用意と長旅で私たちはもうクタクタ。
でも、アパートに荷物を運んでしまえば、あとはゆっくりと片付けられる、それを最後の気力に、南の空の下にやってきたのでした。
それでも、頼んでもすぐにやってくれないというイトコの性格を知っている私は、アパートが片付いているわけが無い、荷物を入れても、大掃除から始めなくちゃな…と覚悟はしていたのです。
そして、アパートに何も無くても荷物ぐらいは運べるだろうから、空港からすぐにアパートへ行きたいと連絡しました。
ところが、彼女が言うには
「ごめん、まだ準備ができていないから荷物も運べないのよ」
ガーン!! (というか、やはりそう来たか…)

しかたがないのでイトコ(ヤドロクの伯母さん)の家へ行くことになりました。
おばさんの家は古い建物で、各部屋を通して廊下があるのですが、その廊下はバルコニーを長くしたようなものです。
つまり隣の部屋に行くときに、まるで外に一回出るような気持ちになるのです。(確かに青空を見ます)
お風呂やトイレに行くのにも、一回外に出て…そんな感じです。
それにお風呂やトイレがあまりきれいじゃないから、居心地が悪いんだけど…
まあ、一週間ぐらいだろうから、何とか我慢はできるでしょう。
おばさんの家でごやっかいになりましょうか。

と、家へ行って、最初に遭遇したのが
「ごめん、今、水が出ないのよ」
ガーン!! (お前らどこに住んでるんだよ、いくらなんでも都会でしょ!)
聞くところによると、建物の上に水を蓄えるタンクが置いてあるのですが、そのタンクが壊れていて、水が流れないのだとか。
それも12月ごろには壊れていたのに、誰も修理をしようとせず、修理を頼もうともせず、1階から水をペットボトルに入れて運んでいたのでした。

詳しくはこちら  
おばの家シリーズ
その1
その2
その3 
 

長旅で疲れきっているヤドロクは、休む間もなく、くそ暑い炎天下の中、タンクの修理をしたのでした。
ブエノス到着第一日めは、こうして終わったのです。
シャワーを浴びたかったけど、疲れきっていたので、すぐに寝てしまいました。

 

 

ブエノス到着の翌日、アパートへ様子を見に行きました。
たしか12月には連絡して、お金が必要なら送るから、すぐに住めるように準備をしておいて、と頼んだはずなのに、準備どころか何も手をつけていない状態でした。
小さいビルの2階で、ワンルームマンションのようなところ。
昼間でもほとんど日が入りません。
これじゃ、工事をしたり掃除をするにしても電気をつけないと始められません。
ところが、電気、ガスは止まったまま。電話なんて問題外です。
というか、電気メーターを取り付けるところから始めなければなりませんでした。
ガスはガスレンジも湯沸かし器も管を直すところからです。
アパートなので水道は使えましたが、流しが木の板でできていてすでにくさっています。

私は、群馬から実家へ、実家からアルゼンチンへの引っ越しで、すでにクタクタになっていましたが、とにかく荷物を運び入れてしまって、住み始めてから落ち着いて片付けようと思っていたのに、このザマです。
一気にストレスに拍車がかかりました。

しかたがない、当分はおばさんの家で寝泊りしながら住めるようにしていかなくちゃな…
と半分あきらめモードです。
そしてシャワーを浴びて気持ちを落ち着けようとしたのですが、修理したはずのタンクの調子が悪く2階ではまだ水が出ません。
しかたがない、汚い1階のお風呂を使うか…シャワーを浴びることにしました。
どのぐらい汚いかというと、下水が詰まっていて、水の流れが悪いのです。
おまけに便器の下の隙間から汚水が飛び出してくるような状態で、入っただけで菌に冒されそうです。

ヤドロクと順番にシャワーを浴びたときは、なんとか我慢ができました。
しかし、後日一人でシャワーを浴びたときに、なんとお湯も出なくなっていたのです。
全身ずぶ濡れになった状態にバスタオルを巻いて、一度外に出て(家の構造が、各部屋に行くときには、一度青空を見なければならないのです)2階にいるヤドロクを呼びました。
さすがにそのときばかりは、今までの疲れと不満で気が狂いそうになりました。

そして、可哀相に、彼は再度、屋上に上がって水のタンクの修理にはげんだのでした。
なんとか2階から水が出るようになり、その後は1階のヘド風呂場でシャワーを浴びずにすむようになったのですが、まだ問題があります。
湯沸かし器を使えるようにするために修理したので、冷たい水がでません。
つまり、お湯が出る水道管は修理できましたが、水が出る管は簡単に修理できなかったのです。
ということで、シャワーを浴びることはできるようになりましたが、トイレの水は流せません。
バケツに水を汲んで便器に流す生活が始まりました。

ヤドロクの伯母さんはもう80歳近く、家の修理のことまで頭が回りません。(というか既に疲れきっています)
長男は身体障害者で何もできません。
一緒に住んでいる長女が馬鹿な上に怠け者で働いてもいないので、ボロい家の修理をするお金どころか、毎日の食費にもこと欠いている状態です。
この蛇口が壊れたら、違う蛇口を使えばいいじゃない。
2階から水が出なかったら、1階から水を運べばいいじゃない。
下水が詰まっていたって、まだ少しは流れるから大丈夫じゃない。
こんなふうにしか物事を考えられない大馬鹿野郎です。

おじいさんが亡くなったときに、遺産分けでもらったお金でアパートも買ったのに、誰にも貸さず、手もつけず、毎月の管理費さえ払わず、あげくにはその借金がかさんでもう少しで人手に渡るところだったのを、私たちが住むということで何とか持ち直すことができたのに、お金が足りなければ日本から送るから、すぐ住めるようにしておいて、と前もって頼んでおいたのに、それさえもせずに放っておくような怠け者です。

もうすぐ60歳になろうとしているのに、未だに大学に通って精神学の勉強をしていて、いつか精神科医になろうとしている、お前が病気だ!という異星人です。

まだアルゼンチンに着いて3日目のことでした。

 

さて、何もないアパートですが、日本ではこういう場合、各会社に電話一本で済みますよね。
早ければ翌日には使えるようになります。
アルゼンチンでは、電話をしても、いつ来てくれるかわからないのです。
案の定、電気のメーターがつくのは1週間後だということになりました。
その間にガスのほうだけでも工事を進めておこうと、配管工と会う時間を取り付けて、電気も何も無いアパートで待つことになりました。

しかし、その日、何を思ったのか、ヤドロクはアパートの鍵が正常に使えるかどうか試すために、二人が部屋にいる状態で、中から鍵をかけてしまったのでした。
配管工が来るまであと30分以上はあるから、近所でお茶でも飲んでいようかと鍵を開けて出ようとしたときです。
鍵がどこかにひっかかり、開かなくなってしまいました。
つまり、電気もいすも何も無い部屋に閉じ込められてしまったということです。
・・・
幸いにも1階に管理人が住んでいて、窓から呼べたので、状況を説明して、鍵屋に来てもらうことになりました。
これで安心、すぐにでも出られる、と思ったのは大間違い。
鍵がどこでどうひっかかっているのか、取り出せないのです。
しまいにはドリルを持ってきて、鍵穴を壊して、やっと出ることができました。
鍵屋が来るまで待つこと40分以上、鍵屋が穴と格闘したのが60分。
暗い、蒸し暑い部屋で、座ることもできずに、ヤドロクと二人呆然としておりました。

配管工と約束した時間は夕方5時。
しかし今はすでに6時になっています。
もちろん、配管工も1時間もの間ワンルームマンションの玄関の外で待たされていたのでした。
これで終わりではありません。
配管工がガス管をチェックしたところ、すでに設置してあった(というか、そのまま放置してあった)ガスコンロと湯沸かし器を取り替えなければ取り付けられない、とのこと。
新しく買いにいくはめになってしまいました。

確かその日は金曜日だったか、土曜日だったか。
値段と大きさがあったものを探し歩いて、配達してくれるよう頼みました。
月曜日の朝8時から昼の2時までの間に配達しますから、待っていてください。
げ~、6時間もあの何も無いところで待たなくちゃいけないの~。
しかも、アルゼンチンでは、配達するといって、配達してくれないこともあるとか。
しかたがない、とにかく待つことになったのでした。
待った、待ったで4時間。
幸いなことに(?)12時ごろ無事荷物は届きました。
待つだけで精神的に疲れきってしまい、その日は他のことができませんでした。

電気のメーターはまだ付いていません。
確認したところ、来週になるとか。
あと一週間も待つの?……

翌日、再度配管工と約束をして待っていたところ、時間になっても来ません。
1時間ほど待ったでしょうか。
二人とも、あいつは来ないな、と見切りをつけて伯母の家に帰ったのでした。
夜になって電話をすると他に仕事ができて行けなかったとのこと。
はっきり言って、ぶん殴って他の人を探そうとしたのですが、友達からの紹介で電話連絡をした配管工す。
それに大馬鹿者のイトコに質問しても「知ってるけど、どうのこうの……」はっきりした返事がもらえません。
お前、自分のアパートを貸すのにそんなに非協力的でいいのかよ、と私はトサカにきていたのですが、何しろ伯母の娘、そしてここはアルゼンチン。
ヤドロクにまかせることにしました。

後日、再度怠け屋配管工と約束して、ガスコンロと湯沸かし器を取り付けることができました。
その作業の手順の悪いこと、乱暴なことは目にあまりました。
おいおい、周りの物を壊さないでよ。
本当にガス漏れしないように取り付けたんだろうか…
そんな感じでした。

電気はまだ付いていません。
すでにブエノスに到着してから10日も過ぎています。
どうしてこのアパートに住まなければならないんだろう、という気持ちで一杯だったのですが、伯母さんの生活費のことを考えて、すでに3ヶ月分ほどの家賃を前金として払っています。
住まないから返せとは言えない状態。
(だって、払ったお金はすでにお腹の中)

 

さて、次の仕事は水廻り。
くさった流し台も問題ですが、流し台の下が修理しなければなりません。
配水管が古くなっていて、水漏れしています。
まずはそこだけでも取り替えよう、と水関係の配管工を探しました。

このころになると、さすがにヤドロクも疲れと怒りで、大馬鹿イトコにも仕事を与えることにしました。
「窓ガラスが割れてるだろう、ガラス屋呼んで直してもらうのはお前の仕事だ。
親切な配管工を知っているのなら、なんでその人に頼まないんだ。
お前、人にアパート貸すつもりなら、少しは手伝えよ。
床がほこりと泥でこびりついてるだろう、床掃除の業者に連絡して磨いてもらえよ。」

そこで、やっと怠け者も動きだしました。
まずは時間がかかる床掃除から。
アルゼンチンには床を磨く人がいて、機械を使って掃除します。
できあがると、新品のようになるそうです。
電話して予約をして、彼女をアパートに派遣して待たせます。
昼過ぎに帰ってきて一言。
「ずっと待っていたけど来なかった」
あ~、またやられてしまった~。

きっと、どこかもっと広い部屋の注文が入ったんだな、という予想。
私たちはもう待つのはこりごりだったので、それじゃ、自分たちで床磨きに行くよ、ということになりました。

翌日、朝から昼過ぎまで、食事もせずに床のほこりと格闘しておりました。
床は板の間のように、木を寄せ木して作ってあります。
その床にほこりが湿気でこびりついているのを、亀の子たわしの大きいもので、こすり落とすのです。
足でゴシゴシ。ほこりモウモウ。
ゴシゴシ モウモウ ゴシゴシ モウモウ。
その中に、何を思ったのか馬鹿女、ガラス屋と水道の配管工を連れてきました。
かわいそうに、彼らはほこりが舞い上がる中、自分たちの仕事に精を出さなければなりませんでした。

二人がゴシゴシやっている中、自分だけ見ているのは申し訳ないと思ったのでしょうか、床磨きを手伝いはじめました。
ゴシゴシ 箒を持ってきて掃くだけ。
ゴシゴシ 掃くだけ。
しょせん怠け者を作業の人数に入れようと考えるのが間違いなのです。
私の視界から彼女の姿が消えました。

床の汚れを落としたあとは水拭きをして、次に消毒薬を入れた水で拭きます。
最後にワックスをかけたのですが、床が乾ききっていたので、ワックスをかけてもかけても滲みこんでいくばかりです。
私はもう少しきれいにしたかったのですが、疲れきったヤドロクが「もういいよ、帰ろう」ということで、不本意ながらボロ家に帰ったのでした。6時間の労働でした。

 

連絡をしてから2週間後に電気のメーターがつきました。
しかし、まだ電気がつきません。
まだまだ待たなければなりません。
それでも、ガスは使えるようになり、水廻りも整って、あとは電話の取り付けと引っ越しです。
(じゃ、今までのは何だったの?)

やっと電気が使えるようになったのを確認して、すぐに荷物を運び入れました。
ベッド(マットレスだけ)、テーブルと椅子、棚とテレビはすでに友人から購入予定済みです。
冷蔵庫は以前使っていたものを伯母さんの家に預けておいたので、それを持っていくことにしました。
安心して荷物を運ぶことができる人を探すときにも、馬鹿女は知り合いがいるのに、のらりくらりと非協力的でした。
ヤドロクが説得して、やっとその人と連絡をとることができました。

引っ越しはいつもの引っ越し。
日本と同じです。
何が違うかというと、車が違います。
やってきた車を見たとき、さすがの私も目が点になってしまいました。
小型トラックの荷台をベニヤ板で囲い、屋根には布をかぶせた、ホロ馬車、いいえ、ほろ自動車でした。
こんな経験はめったにない!と、早速荷台に乗り込み出発です。
中から屋根を見ると、とこどろころ穴が空いています。
「布でできているのですか」
「ええ、でも特殊な布で、ロウが塗ってあるから、雨が降っても大丈夫ですよ」
そりゃ、あんたたちは大丈夫でしょうけど…。

ところが、車を走らせている途中で、急に雨が降ってきました。
にわか雨です。
荷物が濡れないか心配している様子が分かったのでしょうか。
「大丈夫、濡れませんよ」
ああ、そうですか、と答えてはみたものの、星空のように穴が開いている屋根から、ときどき水が入ってきます。
車の中全体を見回すと、やはり布がやぶれているところがあったようで、ポタポタと雫が落ちる音の下には、バケツがちゃんと置いてありました。ある意味準備万端です。

トラックの見てくれはどうであれ、働いている人たちは親切で、正直そうないい人たちでした。
乱暴で怠け者のガス配管工と、えらい違いです。

荷物も何とか収納し、どうやら生活できる空間ができました。
さて、冷蔵庫。
冷えない……

運び出す前に試したときは冷えたのに
引っ越し終わって使おうと思ったら
冷えない……

それでも、もう1日待ちました。
でもやっぱり冷えない……

アルゼンチンで、冷蔵庫の問題で最初に考え付くことは、冷却用のガスが無くなってしまったのではないか、ということです。
つまり運び込むときに、どこかにぶつけて、そのショックでガスタンクが壊れてしまったのだろう、そしてガスが抜けてしまったんだろう、とのこと。

ガスを入れてくれる人を探さなければならない。 また探すの!?
ガスを入れても直るという保証はどこにもない。
……
今までさんざん待っていた私たちはもう待っていられません。
新しく買うことにしました。
冷蔵庫、探すのかぁ。
近所の大型店で配達も含めて尋ねたところ、配達がいつになるか分からない。ナンダヨ、ソレ。
その近くに個人の店があったので立ち寄ると、翌日には配達してくれるということだったので、即金で買いました。

電話を取り付けるまでに2週間。
インターネットが使えるようになるまでさらに2週間ほどかかりました。

そして、1月中旬に日本からアルゼンチンに引っ越した二人は、2月中旬に引っ越しが終わったのでした。
真夏のアルゼンチンのお話です。

おしまい

 

番外編

結局、くさった台所の流し台は取り替えませんでした。
今でも腐った状態で使っています。もういいんです、どうでも。

せっかく友人から安く買ったテレビですが、半月も使わないうちに、無くなってしまいました。
理由は、伯母さんの家のテレビが壊れてしまったから。
馬鹿従姉妹はどうでもいいけれど、義伯母さんの楽しみがなくなるのは可哀相だな、ということで新品同様のテレビを貸し出ししました。
貸し出し、つまり永久に帰ってこない、ということです。
だったら家賃から差し引きして売ってしまってよ、と今でも思っています。
貸し出ししてからもうすぐ1年が経とうとしています。

伯母の家の水廻りですが、相変わらずそのままです。
今でもトイレを使ったあとは、バケツに水を溜めて、それを流しています。

ちゃんちゃん